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「セインツ -約束の果て-」(2013・デヴィッド・ロウリー)~蓮實重彦~「オオカミと『後期高齢者』」について 2015.2.20

「群像」で嘘つきの「常習犯」におなりになられた蓮實重彦がまた凝りもせず褒めていることからこれもまた動員系のウソだろう、、、、としばらくほうっておいたものの「キネマ旬報」のベストテンで「ハスミ筋」と思しき批評家のベストテンにかすりもしていないのでよもや、、と見てみると、「ほんとう」だった。

「後期高齢者」でありながらまるで罪の意識のない無邪気な「少年」のようにして「よもやこれを無視することはできまい」、、とか「決して傑作とは言わぬまでもそうでないと断言できる保証がどこにあるだろう、、」などという蓮實調に乗せながら「常習犯」的につかれるウソの中に隠れる一縷の真実、、、、「うそ」と「ほんとう」の区別のつかぬ者たちは「うそ」をベストテンに入れまくり希少な「ほんとう」を言い当てられない。こうしてどの弟子がバカでどの弟子がバカでないかを秘密裏にみずからの面前に晒してしまう、これをして「オオカミと『後期高齢者』」現象と名付けて驚きたい

序盤、母と娘が教会から出て来たあとの保安官との決してピント送りをしない距離感と、次のショットでやや斜め後方からの朝日がほんのりと人と空間の表層を撫でつけた移動撮影を見て「ただ者ではない、」、とこの移動撮影を10回以上見直してしまったのだが、白い衣服のゆらめきと人間の進行とが去りゆく地面と呼応しながらあらゆる瞬間、動く絵の如き充実に満たされている。これを単なる「撮影賞」ごときの範疇に閉じ込めてしまうところがサンダンス映画祭の限界として際立つのだが、それも「ジャージー・ボーイズ」(2014)に泣いた、、、などという「か弱い」批評家もどきに比べれは幾分か程度は上であり、また「ウルフ・オブ・ウォールストリート」(2013)などというポン助の撮ったシロモノをベストテンに入れてしまうトンマに比べれば遥か後光が差して見える。

満たされた画面が引き算によって物語的あとづけをされていく。手紙に文字が書き綴られるその瞬間にこれが映画であると呟くしかない躍動感覚が、丘の上の一軒家に立て籠もり保安官を撃った恋人の身代わりとなって服役した一人の男がその女と生まれた娘の元へ帰って来るというただそれだけの帰郷の出来事がかつてどこかの聴聞会で「私の名前は~。西部劇を撮っている」と豪語した映画史と一体化しながら静かで満たされたエモーションを惹き起こしている。女がみずからの膝の上に横たえる瀕死の男に「ずっとあなたを待っていたのよ」と呟いた瞬間この映画はあらゆる鑑賞者が泣けるように開かれている。

一部のクローズアップに微妙な難点が見えるが(19分、洗濯物を干している女から切り返された男の3つのクローズアップ等)それがなければオバケになる。

それほど最近は映画を見てはいないはずの人がまたこういう映画を引き当てて来る。「後期高齢者」を「逆手」に握りノーマン・ベイツのように上から振りかざして突き刺してくる。

藤村隆史

追記 2024.7.4 藤村隆史
この作品は提出日が不明となっているので鑑賞日(2015.2.20)を提出日に代えました。